Stone stone stone tumi-isi

tumi-isi
偶然をコツコツ積み上げてできた積み木

Lifestyle
2022.07.07

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tumi-isiから考える
理にかなったものづくり

ころんとかわいらしくも洗練された木製のブロック。手のひらに転がすだけでもいとしさの湧くこのブロックは、さらに積み重ねることでその真価を発揮する。思いも寄らぬバランスで積み上がっていくその楽しさには、大人でさえ心奪われてしまう。

この木製のブロックはバランス感覚と創造力を養う多面体の積み木。奈良県東吉野村に拠点を置くプロダクトデザインレーベル「A4/エーヨン」が手がけている。本物をつくる、と公言するエーヨンのプロダクトは、tumi-isiに限らずどれを見ても美しく、創造的な楽しさがあり、長く愛用したくなる。今回はそんなエーヨンのプロダクトを監修している菅野大門さんにtumi-isiの誕生についてお話を伺った。

tumi-isiの本質的な価値が、
子どもも大人も魅了する

そもそも積み木は、1838年にドイツ人のフリードリヒ・フレーベルによって考案された幼児向けの教材である。厳密には「恩物(おんぶつ)」と呼ばれる教材のうちのひとつで、この恩物は、立方体・長方体の積み木に加え、球体、板、棒、紐、切り紙、など様々な素材で構成されていた。子どもが素材を組み合わせて自由に遊ぶことで、色、形、大きさなど対象を認識する基本的な概念を得ることができるのである。そしてそこには「自由な遊びを通して、人間の本質、対象物の本質を体得することが大切である」とするフレーベルの主張が込められていた。

tumi-isiに大人も夢中になってしまうのには、積み上げが難しくなることで、色、形、大きさを改めて認識しようと、対象物を見つめるからなのかもしれない。そして、自然界に溶け込む色合い、水辺の石を思わせる大小様々な形、重ねるたびに変化する姿に、有機的な美しさを感じる。このオブジェクトとしての魅力も多くの人の心を掴んで離さない理由に違いない。全く罪なやつである。

tumi-isiの魅力を成す、絶妙な色合い。角度が変わったり、上のブロックから影が落ちると深みや明るさが出る。どのような意図を持って色を決めているのかを尋ねると、まず初めに出てきたのは色そのものではなく、「口にしても大丈夫」という塗料の機能についてだった。

「日々お客さんや仲間から、こういう方がいいよねといったフィードバックをもらうのですが、その中の一つとして、どういう塗料を使っているの、ということがありました。僕もその時には息子がいたので、子どもに与える時の不安要素はなるべく少なくしたいなと思っていて。もちろんそもそも口に入れてしまうのは良くないんですけど、口に入れてしまった時の安心は担保しておきたいと思ったんですね。だから、色も良くて、素材も良くて、メーカーもしっかりしていて、という塗料をとにかく調べて全部試しました。そうして今の塗料にたどり着いているんです。」

丹念な調査と検証を通して選ばれたのはミルクカゼインという塗料。牛乳由来の天然成分のみで作られており、ヨーロッパの玩具安全基準「EN 71-3」をクリアしている。不安要素をひとつ消す感覚で選んだ塗料を商売文句として売り込むつもりはなかったと言うが、結果として多くの人の支持を得ることになった。

「もちろん、色も重要ですよ。マットで質感も自分が家に置いて気持ちがいいもの。でも進んでこれを特徴にしようとか、そういうのは一切ないですね。全部がちょっとずつ、そんな感覚です。」

ものづくりの姿勢

菅野さんの話を聞いているとものづくりに対してフラットに付き合っている、そんな印象を受ける。ああしなければとか、こうすべきだ、といった気負いがない。サステナブルを主題に置く私たちにも「サステナブルであるかはどうでもいいんです」菅野さんは率直にそう言い切る。

「母を幼い頃に、祖父を高校生の頃に亡くし、若い時からよく生きている意味はなんだろうかということを考えていました。その時に、身体が消失しても残っていく“モノの意味”を感じていたんです。」

「市場ありきで作ったものは、流行りのものを作ることになって、流行りが去ったら無くなってしまう。そういう消費物みたいなものづくりはなるべくしたくないなと思っているんですよね。そんな中で、自分が欲しくてなおかつ何年後でも自分が欲しいと思えるものを作るという、僕の根本思想みたいなものが生まれてきました。」

「だから、サステナブルという流行りの言葉はどっちでもいい。100年先、200年先も残っていくマスターピースのようなモノを時代に差し込みたいと思っているんです。」

では菅野さんの信念に従って、tumi-isiはどうやって生み出されたのだろうか。

「tumi-isiが生まれたのは偶然なんです。当時僕らは事務所兼家具工房を持っていて、仕事をする中で端材が出ていました。何の気なしに端材の面を取ってみたら面白い形になって。なんだったら積み上げてもちょっと面白いよねと。そしてその時ちょうどフランクフルトの国際見本市Ambienteに持っていくプロダクトを検討していたんですよ。手持ちで持ち運べて、小さくて、会場できちんと成立するもの…あ、これだ! と。まあ本当に偶然ですよね。」

菅野さんはその”偶然性”を大切にしたいと言う。

「ものが出てくるきっかけって偶然が多くて。むしろその偶然の方が必然だと捉えている。だから出てきても出てこなくてもどちらでもいいぐらいです。」

吉野材を使う、東吉野で作る

エーヨンの拠点である奈良県東吉野村は林業を主産業とする地域で、500年近く杉や桧を育ててきた。山守と呼ばれる山林の管理文化が今も生き、この地域から取れる木材は国産材ブランド吉野材として知られている。しかし日本の林業はいま、輸入材依存と林業従事者の不足という大きな課題を抱えており、吉野材も例に漏れない。

日本は森林面積が国土の3分の2に及ぶ森林大国だ。だが1964年に国際材の輸入が自由化して以来、安価な国際材の輸入が増え続け、木材自給率は2割まで落ち込んでいる。輸入材依存は国際市場の影響を受けやすいということであり、実際2021年3月頃から表面化したウッドショックの影響を今もなお受けている。輸入材は品薄、高どまり状態だ。一方で国産材価格は低迷し、その結果、林業に見切りをつけた若者の都市部流出が進んでしまった。日本全国で、林業従事者の高齢化と人手不足による人工林の放置がみられる。

そしてこの人工林の放置は経済的な打撃にとどまらず、地球環境にも影響を与える。間伐が行われないことで木々は野放図に伸び、太陽光が地面に届かなくなるためだ。その結果、植物が育たず土地が荒廃し、次第に木々はやせ細っていく。洪水や土砂崩れも起きやすく、生き物も森林を離れていく。

輸入材依存から脱却し、国産材へ切り替えていくこと。日本の林業の再生し、生きた生態系を取り戻すこと。難題だが解決が急がれるこの問題について、菅野さんの仕事から何が見えてくるだろうか。

tumi-isiは現在、吉野杉、吉野桧、広葉樹、リサイクルコルクを素材として使っているが、最初のシリーズは吉野杉、吉野桧から始まった。

「吉野材は東吉野に越したことで出会いました。すごく目が細かくて軽くて、僕が思う積み上げるという行為と相性がよかった。軽くて柔らかいので落としてもその周りが傷つかないですし。加えて、加工の工程でも硬い木に比べて速く作れて生産効率が良い。買ってもらえる値段に乗っかってくるなと思えたんです。」

こうして出会った吉野材を使うことに始まり、tumi-isiは加工・塗装・組立・検品に至るまでを全て東吉野村で行う。それはつまり、木材生産地の近くに出口があるということだ。いくら林業を盛り立てようとしても、それを使う人がいなければ状況は改善しない。木材を生産したその先に使う人がいること。その確信が林業従事者を増やしていくことになる。

「僕はすごく効率好きなんです。根本思想として、死へ向かっているという前提があるので、なるべく時間を無駄にしたくない。無駄なことはしたくないけれども、無駄なことをするというのが生きるということだから、なるべく効率よく無駄なことをしたい。その感覚のもと全て考えていくと、理にかなった素材を使うとか、関わる人全てにきちんと対価を払うとか、そういう選択になるんだと思います。そして理にかなっていることを常に揃えていけば、それはおそらく持続していくんだと思います。」

「発送業務を福祉作業所に委託しているのは、きちんとお仕事をしてくださる方々だと思っているからなんですよ。社会福祉だからとか、障がい者だからとか、そういう狙いは全然なくて。僕はちゃんと仕事をしてくれる人に、きちんとした対価でお願いしているに過ぎないんです。」

福祉作業所に仕事を依頼する。あえてSDGsの17の目標に当てはめるのであれば、「目標8 働きがいも経済成長も」ということなのだろうが、菅野さんはそれを念頭において仕事を依頼しているわけではない。求める仕事に対しての成果をきちんと出してくれる、だからお願いする。「理にかなっているか?」を判断の軸とする。それはサステナブルという言葉の本質を指摘しているのかもしれない。

愛着があるから使う。
内発的な思いが行動を促し、
自然と続いていく

生産の場から使用の場に目を移すと、メンテナンスを引き受けていることに興味が湧く。限られた人材で無料のメンテナンスというのは手間でないのか。

「実際にメンテナンスをされる方はほとんどいらっしゃらないんです。”ポチッ”という言葉があるくらい簡単にものが買える時代に、わざわざメーカーに送って削り直してもらうというのはかなり手間なんでしょう。でも、メンテナンスしてもらえるというのは、面倒を見て貰えるという安心感を持ってプロダクトを使えるということだと思うんです。根底としての安心感が全然違う。だからメンテナンスで返ってくる返ってこない以前に、一生面倒見るよってその姿勢が、みんなの安心感につながっていることがいいのかなと思っていますね。そして僕が勝手に思っているだけですけど、僕は買ってくれた人がそもそも好きというか、思想を共有する仲間と思っています。だからそのものを持っているか持っていないかが僕にとってまず重要です。」

確かにものを買うことは価値観の共有だ。その上「なんなら買い取りたい」と言うから菅野さんらしい。

「僕は昔の名作椅子とかテーブルとか、中古のプロダクトがすごく好きで買い集めているんですけど、やっぱり新品には出ないオーラというか味というか、使い込まれたものの良さがあって、僕はそちらの方が好きなんですよ。だからそうやって自分のプロダクトにもそういう要素が入ったらいいなと思っていて。それを口にすることはないですけれど、そういう気持ちで日々作っています。使うってことも作ることなんだなって思うと、使い込んでもらったものほど欲しい。中古好きの僕としてはそういう考えで、買い取りたいぐらいだと言ってます。」

エーヨンのブランドサイトにある「作ってお終い、売ってお終い、使ってお終い(捨てる)というサイクルは、人や環境、市場を疲弊させ自分たちや次の世代のクリエイティブを止めてしまう」という言葉の意味が少しずつクリアになっていく。

「僕が異常なのか、みんなそう思っているけれど声に出さないだけなのか分からないですけど。やっぱり僕は古いものの方が価値があって、新品はまだ途中っていうんですかね。育ている途中の状態だと思います。だからむしろ新品の時に最高潮を迎えているものはあんまり興味ないです。”売ってお終いは嫌だ”と言っているのはそういう意味なんですね。買ってくれた人が仲間というのは、一緒に作っている仲間ということでもあるんです。」

使って育てる。育てることで愛着が湧く。愛着が湧いて長く使う。自分にとって無理のない、それこそ「理にかなっている」状態。それが菅野さんのサステナブルの秘訣なのだということが、最後まで聞いてようやく見えた気がした。

日常の生活においても、ビジネス面でも無視することができなくなってきたサステナブルという観点。しかし菅野さんの話を伺いながら、言葉に囚われ本質を見失いたくないものだと改めて思わされる。サステナブルを名乗ることが目的とならないように。社会が、地球が“理にかなって”自然と持続していくための選択をしていきたい。